Political Economy & Economic History Society

政治経済学・経済史学会


第2回(2007年)政治経済学・経済史学会賞
The 2007 Political Economy and Economic History Society Prize

1.授賞作品と会員氏名
林采成『戦時経済と鉄道運営−「植民地」から「分断」韓国への歴史的経路を探る−』(東京大学出版会、2005年3月)
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2.授賞理由
本書の最も大きな特徴は、1930年代から1950年代に及ぶ激動の時代、太平洋戦争と朝鮮戦争による2度の戦禍によって朝鮮半島全体が翻弄された時代における朝鮮鉄道の歴史を、日本・韓国・米国の一次史料の発掘と、それの丹念な実証分析とによって、内容豊かな朝鮮鉄道史像を抽出したことにある。『戦時経済と鉄道運営』というタイトルからも窺い知れるように、本書の主題は、戦時経済下における朝鮮国鉄の組織的対応の動静を解明することにあり、戦時中の不足の経済による制約と経営の論理との相克を、一貫して追跡した大作である。

戦時経済に突入するまでの朝鮮国鉄は経営が不安定で、資材や人材の多くを日本内地に求めなければならなかったが、十分な投資が進まないうちに、満州事変そして日中戦争が勃発し、朝鮮国鉄は軍事動員にまつわる過大な任務を負わされることになった。本書の第2章及び第3章は、軍需輸送と資源開発の拡大により運輸需要全般が急膨張する過程で、朝鮮国鉄に生じた「輸送難」と、その対応の姿を活写している。輸送資源に限りがあるため、朝鮮国鉄は効率的な輸送システムを構築して合理化をはかり、1942年頃までに一定の成果を得ることができたが、じきに、石炭供給の行き詰まり、日本人鉄道労働者の慢性的不足といった新たな難題に直面することになる。他方、満鉄と統合させて大陸の軍需輸送の一体化を図ろうとする関東軍の方針は最後まで実現できず、朝鮮国鉄の一応の自立的な体制は戦争末期まで保持され続けたことを、著者は克明に実証している。とくに、日本人労働者の不足が深刻化する過程で、鉄道への朝鮮労働者の大量雇用が進んだ事実に着目し、朝鮮経済の自立にまつわる問題とも関連させながら、綿密に分析している。

第4章では、「8・15」を境とする連続と断絶の両側面が考察される。第二次世界大戦の終了によって植民地経済から脱した朝鮮鉄道はひとまず自立するが、日本人労働者に替わって米国の技術陣に大きく頼らざるをえなかった。この事実を踏まえて、著者は鉄道労働力の朝鮮化にはあくまでも慎重なスタンスをとっている。次の第5章では、朝鮮戦争への突入により、韓国鉄道(元朝鮮国鉄)は米国の戦時動員体制に組み込まれて再び自立性を喪失し、たび重なる戦禍によって鉄道輸送が惨憺たる状況に陥る姿が素描されるが、それと同時に、戦時下における効率的なシステム運営の経験が朝鮮戦争後に受け継がれていった事実にも、著者はしっかり目配りしている。最後の第6章では、朝鮮戦争停戦後、米国の援助を受けつつ、韓国鉄道がディーゼル化や石炭国産化をつうじて経営の再建に努め、自主的経営体として展開していく過程が浮き彫りにされている。

本書は、これまでの戦時経済研究において、ほとんど手付かずだった朝鮮国鉄にスポットを当てた本格的な実証研究であり、新たな研究領域を切り拓いた業績として十分評価できる。旧来の朝鮮鉄道に関する研究は、いずれも植民地期のみを対象としたものであり、戦時期や解放後の時期におけるこれだけ綿密な研究は皆無に等しい。
 また、日本統治下だけでなく、太平洋戦争と朝鮮戦争という2度の戦時期を含む、戦前から解放後までの長期間を、ひとつの作品のなかで、歴史通観的視角からつぶさに実証分析した作品は、歴史研究全体のなかでも稀有であり、戦時経済研究全体への大きな貢献であろう。

さらに、本書は決してシェーマにとらわれず、豊富な史料に裏打ちされた事実にもとづいて緻密に論理が展開されている点も評価できよう。例えば、戦時期と解放後との連続と断続についても、何が受け継がれ、何がかつては欠けていたのかを、史実にもとづいて注意深く描き分けている。
 もっとも経営史的視角からの実証に徹するあまり、本書全体をつうじて自説の展開が手薄だった点が惜しまれる。とくに、朝鮮経済全体のなかでの朝鮮鉄道の位置づけ、朝鮮鉄道の自立化と朝鮮(韓国)資本との関連といった構造的な問題にもっと肉薄してほしかった。著者の今後の研究のなかでこうしたテーマにも接近していただければ幸いである。

最後になったが、本書の実証密度の濃さにもふれて置く必要があろう。著者は、日本・韓国・米国において、文書館、図書館、大学等に所蔵されている史料を丹念に発掘し、文書史料を補強するために、関係者への聞き取り調査も試みている。こうした歴史実証に対する著者の真摯な姿勢は敬服に値する。
以上の理由により、本書は学会賞を授与するにたる優れた作品であると認められる。

2007年10月27日
学会賞選考委員会
(委員長)中野一新
浅井良夫
久保新一
権上康男
柳澤 悠
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日 会員総会改正