Political Economy & Economic History Society

政治経済学・経済史学会


春季総合研究
Spring Meeting

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日  時 2013年6月29日(土)、13:00〜17:00
会  場 東京大学経済学研究科棟 地下第1教室
テーマ 東北地方「開発」の系譜 国際的契機に着目して
問題提起 松本武祝(東京大学)
報告者と論 題 1.軍馬資源政策と東北馬産 国家資本依存型産業構造の形成 大瀧真俊(京都大学研修員)
2.人口問題と東北 戦時期から戦後における東北「開発」との関連で 川内淳史(歴史資料ネットワーク)
3.高度成長期における東北地方の電源・製造業立地政策 山川充夫(帝京大学)
4.ネットワークの視点でみる東北地域の産業構造の発展 坂田一郎(東京大学)
コメント 中村尚史(東京大学)
白木沢旭児(北海道大学)
司  会 小島彰(福島大学),安藤光義(東京大学)
注  意 ダウンロードした報告原稿等を著者に無断で引用することを禁止します。
趣  旨  3・11東日本大震災が被災地域製造業に及ぼした被害は,結果として,当該地域の製造業がグローバルなサプライ・チェーンにおいて果たしていた不可欠の役割を広く認知させることになった.多国籍製造業企業は,自分たちが国際的に保有する資源を総動員して被災工場の復旧に注力し,瞬く間にそれを完遂していった.日本政府と地方自治体もそれを強力に支援した.震災から2年を経てもなお復旧の見通しさえ立たない農業,水産業及び水産加工業など地場の産業の状況とは,鮮やかな対照を示している.
 自然災害は,その被害の態様を通じて被災地域の経済的・社会的特質を白日の下にさらし出す.被災からの復旧過程においてもまた,それは露出する.上記の対照的状況は,東日本大震災によって露わにされた被災地域の特質の一断面である.あるいは,別の一例として,被災地が,被災地以外の地域,とくに首都圏に対する電力・食料など資源供給基地としての役割を果たしていることを改めて印象付けた点を挙げることもできよう.
 東日本大震災では,東北地方と関東地方の太平洋岸がひろく被災地となった.太平洋岸以外の東北地方は大きな被災を免れている.しかし,震災ののち,「東北」という地理的な範疇が注目を集めている.震災が露出した被災地域の社会・経済的特質が,東北地方全般に共通なそれとして認識されているためであるといえよう.なお,戦前来の法律を引き継いで1957年に制定された「東北開発3法」(東北6県+新潟県が対象)は,2005年までにすべて廃止されていた.皮肉にも,「東北開発」を冠した法律が途絶えた直後に,「東北」論が浮上したことになる.
 今年度の春季総合研究会では,東日本大震災を契機に表出したところの東北地方における地域社会・経済の特質に着目したい.その際,国民国家による政策的対応としての東北地方「開発」という観点,および個別の多国籍製造業企業の立地という観点から,その特質を論じてゆきたい.
 日本資本主義の原蓄期を通じて農業地域に再編された東北地方は,食料供給基地として国民経済の中に位置づけられた.そして,産業としての農業の不利化にともなって,東北地方=「後進地域」という表象が定着する.その表象は,農業不況下の1930年代には,国土開発政策としての東北振興政策を導き出した.その際,東北地方には,電力供給基地というもう一つの役割が課された.東北振興政策において執られた拠点開発方式は,戦後,全総の下での「国土開発」=新産業都市においても再現される.石油ショックと円高を経た1980年代以降には,民間主導による製造業立地が東北地方において進展した.さらに,グローバル経済下での国際的な製造業立地の再編過程において,東北地方は新たな立地対象地となった.なお,政府主導の拠点開発政策からも,民間主導による製造業立地の動きからも取り残された地域の一部においては,原発立地が進んだ.
 ところで,冒頭で述べたグローバルなサプライ・チェーンにおける東北製造業の役割が,震災をきっかけに浮き彫りになったことで,改めて,東北における製造業立地の国際的契機が注目されるようになった.これに対して,戦前から高度成長期までの東北地方「開発」は,これまでは,国内「後進地域」に対する政策という国内問題という位相においてもっぱら了解されてきたといえる.
 しかし,実際には,1930年代-40年代前半における東北振興政策は,植民地支配と軍事的侵略という帝国としての課題遂行のための資源(人口を含む)の調達という目的と不可分であった.さらに,それをさかのぼる世紀交替期以降の東北農業振興政策もまた,東アジア地域への軍事的侵略という課題と密接に関連していたと捉えるべきである.すなわち,戦前期に関しては,国内「後進地域」としての東北地方が,対外的には,反転して,帝国日本の東アジア地域に対するフロンティアとしての役割を課されていた,という枠組みで国際的契機を捉えかえすことができるのではないか.
 ところが,戦後には,帝国の解体と冷戦構造の定着によって,東北地方には国内「後進地域」という属性だけが取り残され,その結果,国内問題としての東北「開発」という視点だけが浮上する.“東北地方「開発」=国内問題”という言説自体が,戦後的状況の産物であったともいえる.しかし,高度成長期における拠点開発政策や電源立地政策もまた,日本資本主義の国際的展開と連関づけられていたことを勘案すれば,間接的ながら,この時期の東北地方「開発」を国際的視点から捉えることは可能であろう.
 現代のグローバル化と戦前の帝国を,「国際化」として同一視することはできない.また“国内問題としての東北地方「開発」”という分析枠組みも依然有効であろう.さらには,東北地方内のそれぞれの地域に内在する「開発」の文脈という議論の枠組みも重要である.しかし,1980年代以降東北地方における多国籍製造業企業の立地を,歴史的文脈に即して捉えようとする場合,19世紀末から高度成長期までの東北地方「開発」の展開過程と1980年代以降の製造業立地とを,その国際的な契機に着目して,連続的な視点から捉え直すという課題を設定する必要があると考える.ぎゃくに,1980年代以降の製造業「国際化」が東北地方(あるいはその内部の地域)のいかなる内的条件に規定されていたのか,その内的条件は歴史的にどのように形成されてきたのか,という論点もあわせて重要となる.
 そこで,今次の春季総合研究会においては,日本資本主義成立期以降における東北地方「開発」の系譜を,その国際的契機に焦点を当てながら,上記の方々に報告とコメントをいただくことにした.
*報告フルペーパーが事前に学会ホームページ(http://seikeisi.ssoj.info/Spring-Meeting13.htm)に掲載されますので、予めご参照ください。
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