Political Economy & Economic History Society

政治経済学・経済史学会


春季総合研究会
Spring Meeting

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日  時 2016年6月25日(土)、13:00〜17:00
会  場 東京大学本郷キャンパス 農学部2号館化1教室
アクセス
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テーマ 経済史学とフレームワーク−−その協働と相克の過程から
報告者と論 題 1.恒木健太郎(専修大学)「戦後日本の経済史学−大塚史学との協働と相克の過程として−」
2.阪本 尚文(福島大学)「戦後経済史学の射程−憲法学を事例として」
3.武藤 秀太郎(新潟大学)「山田理論からみた中国」
4.金山 浩司(東海大学)「元・講座派の技術論:相川春喜(1909-1953)は「転向」したか?」
5.長谷川 貴彦(北海道大学)「「転回」以降の歴史学−新実証主義と実践性の復権−」
コメント 1.粟屋 利江(東京外国語大学)
司  会 左近 幸村(新潟大学)・高田 馨里 (大妻女子大学)
注  意 ダウンロードした報告原稿等を著者に無断で引用することを禁止します。
趣  旨  マックス・ヴェーバーは学問における仕事を事実の確定とその直視におき、第一次世界大戦後のドイツの大学内に渦巻いていた自己の世界観や価値判断の押しつけを厳しく批判した。しかし、ヴェーバー自身は事実認識において一定の価値理念が入ることを拒絶しておらず、さらにいえばむしろ事実認識において何らかの価値理念に基づくことを要請さえしていたのである。この考えを敷衍すれば、ある特定の観点に基づく事実の集積の統一的把握こそが、学問の重要な任務と考えることができる。少なくとも戦後の日本においては、その代表的な役割を経済史学が中心として担ってきた、とはいえるだろう。本学会の前身である土地制度史学会の創設において大きな役割を果たした山田盛太郎と大塚久雄をこの列に加えることは、決して牽強付会とはいえない。
 戦前および戦時期日本にみられた経済状況を、マルクス主義において彫琢された発展段階論のなかに位置づけつつ欧米諸国との比較を通して法制や政治体制、社会構造をも包含して考察しようとする総合社会科学を企図した彼らの議論は、経済史を念頭においた現状分析としての意義も有したものであった。講座派以来の伝統である日本を封建的・前期的段階と近代資本主義段階との錯綜とみなす現状認識は、その参照項としての西洋史学全般に大きな影響を与えたのみならず、1960年代以降はいわゆる「後進国」とみなされた国々における経済発展を分析する枠組みとしても機能していた。
 そこには、世界史における日本の位置づけという観点がつねに古代から近代を通観する発展段階論というフレームワークと結びつき、歴史分析のみならず現状分析をも統合するような役割を果たしていた。こうした発展段階論に基礎づけられた歴史認識は、来るべき社会のあり方を構想する意義もあった。すなわち、戦前・戦時期の軍国主義体制から決別し日本を近代化する道を照らすという価値理念がそこには込められていた。とりわけ大塚久雄の経済史学=「大塚史学」が敗戦直後にさまざまな批判を浴びながらも広範な支持を得たことは、戦後改革と経済史学とのリンケージが期待されていたことの証左に他ならない。
 一方で、こうした発展段階論はしばしば事実認識を歪める効果をもたらしてきたことも無視はできない。とりわけ、〈先進国と後進国〉という現代世界の構造を無意識に固定的に捉える誤りも犯してきた。こうした認識の西洋中心主義に対する批判は、現在のグローバル・ヒストリーにまで及ぶ大きな潮流となっている。また、「科学的」と自称していた学問がときの政権による権力強化の道具ともなっていた時代があったことも看過はできない。
 とりわけ、日本における山田や大塚をはじめとした一線の学者たちが戦時体制においていかなる「協力」をしていたのかは、それこそ事実として確定しその内容を直視しうる段階にきている。それを可能にしたのは、旧社会主義圏の崩壊過程や社会史・文化史の発展から興隆した国民国家論・総力戦体制論の提起であった。これらが旧来の発展段階論にみられた規範的な「近代」像への無前提な肯定を問い直す契機となったことで、いわゆる「戦後史学」にたいする学説史的な検討が可能となったのである。
 しかし、こうした過去のフレームワークに対する厳しい批判に基づく実証分析の姿勢の徹底は、自らの拠ってたつフレームワークの明示にたいする慎重な姿勢を強く求めるものとなったと考えられる。現在、己れの依拠するフレームワークについて何らかの表明ないし事実認識との関連づけをしつつ学問を遂行することがきわめて難しくなっている。そうした困難は、歴史学をはじめとした人文・社会科学をおおう実証的研究の優勢に現れている。
 だが、いかなる実証分析においても何らのフレームワークにも依拠することのない作業は不可能である。もしそのようなことを敢行しようとすれば集積された事実の統一的把握は困難となろう。そればかりではない。何らかの歴史研究に携わる者は、いかにその時代に即して事実を理解しようとも現在の時代状況から逃れることはできない。あまりにもフレームワークを排除しようとする歴史分析の姿勢は、史的事実と現在との対話をも閉ざすことになりかねない。
 こうした事態にあって、本学会において過去の経済史学が基礎としてきたフレームワークが歴史実証のみならず現状分析等とどのような協働関係をもってきたのか、そしてそのフレームワークが歴史実証・現状分析等とどのような相克関係に入ってきたのか、こうしたことについての再検討を講じるべきなのは当然であろう。まさに歴史実証におけるフレームワークの働きの重要性を強く認めてきた当学会であるからこそ、このテーマは検討されるべきである。そして、これまでの学史的・思想史的研究の積み重ねから、私たちはありうべきフレームワークの方向性を見いだす手がかりを得られるのではなかろうか。
 ある特定のフレームワークを安易に普遍化して歴史的事実を捻じ曲げることは許されないが、フレームワークそのものを拒否した素朴実証主義は、じつは体制追従的な歴史認識のための道具へと堕しかねない。この両者の事態を回避しそれを乗り越えるような新しい経済史学とフレームワークとの協働のかたちは可能か。これを検討にふすことが本シンポジウムの目的である。
*6月20日前後に各報告・コメントのフルペーパーが学会ホームページに掲載される予定です。事前にご参照のうえ、ご参加下さい:http://seikeisi.ssoj.info/Spring-Meeting16.htm
 お問い合わせは政治経済学・経済史学会事務局まで:seikeishi「@」gmail.com



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